投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索<OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

  1. 出会い系なら優良できまりじゃない?(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

[PR] ネットバイト ハワイ航空券 茨城の求人・転職 seo 物流費
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全849件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  |  《前のページ |  次のページ》 

崇善堂について

 投稿者:猫インフル  投稿日:2009年 5月22日(金)23時59分6秒
  >資料によれは崇善堂は4月に埋葬活動を行ってはいない。
>よって、崇善堂が4月に10万以上の死体を埋葬したというのはウソである。
>というのは論理的におかしな部分はありませんよね?

崇善堂の4月の埋葬には以前から疑問が指摘されていますが、崇善堂の埋葬数についてはまだ決着を見ていないという状況でしょう。


>その他の外国人の史料や、日本側の史料では埋葬数は約4万になっています。

外国人、日本人の史料には紅卍字会の埋葬についてしか書かれていませんから、他の埋葬団体については知らなかったということになります。

>これ以上に数万規模で死体が存在したという史料はありません。

紅卍字会、崇善堂以外の埋葬団体の埋葬数は数万にのぼります。

>複数の史料をつき合わせて考えれば、東京裁判に提出された崇善堂の埋葬記録は捏造であるという結論以外にはなりえません。

捏造とは事実を知りながら、故意に事実と異なる報告をしたということですから、誰が事実を知って事実と異なる報告をしたか明らかでないと捏造とは言えません。

崇善堂の埋葬記録はそもそも、原本が失われて、散逸した資料から再構成したと説明されていますから、資料の取り違えなどから誤って再構成された可能性も否定できません。

もし、捏造する気があるのなら、はじめから原本のように見せかけて一から書きあげれば足りることです。市民を目標とした大量虐殺を捏造したいのなら、女性・子供の比率20%-30%という資料を作った方が目的に適ったはずと思われます。


>崇善堂が埋葬を行ったとしてもそれは小規模であり、その他の史料と比較すると
>紅卍会の下請けみたいない形で埋葬に参加したものと考えられます。

紅卍字会の下請けという資料はまったく存在しません。
 

>戦死について

 投稿者:猫インフル  投稿日:2009年 5月22日(金)23時55分57秒
  >以上のように当事国でまとめられ、当事国で刊行された公式報告になりますので、
>細かい統計方法が不明でも、一級資料の数値として扱って問題ありません。

当事国がまとめたからこそ、当事国にとって都合が悪いことは隠している、ということはいくらでも事例があります。したがって、当該報告は「当事国だから」「公式報告だから」鵜呑みにするというのではなく、むしろ、数字は過少ではないのか、という疑って接するべきであり、当該資料内で矛盾はないか、他の資料と比較して矛盾はないかという検証を経た上ではじめて実数として使えるのです。公式資料だから信用する、などという硬直した教条的態度は学問・歴史学とは無縁です。

私は当該資料の資料価値を否定しているのではありません。「戦死」はどういう調査方法なのか、それがわからなければ、「戦死」という項目がなにを意味するのかはわからない、ということを指摘しているのです。当該資料にその説明はありません。


>史料の性格上、損耗戦力は戦死(陣亡)に計上したものと考えてよいと思います。

グースさんの言われる損耗戦力には逃亡・失踪、捕虜が含まれるものと思いますが、当該資料に調査方法の説明がない以上、「損耗戦力に戦死を計上した」と断定することはできません。グースさん個人が「考えています、思います」と言っても学問的事実とはなりません。

戦死者にとって当事国というのは二つあります。日本と中国です。負け戦である中国側にとっては戦死・逃亡・失踪、捕虜が大量に発生します。中国側では当然その内訳を把握できません。ところが、当事国の一方である日本は勝ち戦であるので、戦死、逃亡・失踪、捕虜の三つのカテゴリーを区別しています。その日本軍の公式資料を集成した『南京戦史』において、南京戦の中国軍将兵の被害を「戦死・約3万人、生存者約3万人、撃滅処断1万6000人」としています。生存者にして中国軍に復帰した例は知られませんから、後二者も損耗戦力です。

グースさんのいうように損耗戦力を戦死に計上したとしたならば、南京だけでも戦死7万6000人となったはずで、中国軍傷亡統計表の第三戦区で3万3000人は大幅に低い見積もりとなります。したがって、「損耗戦力は戦死(陣亡)に計上したもの」は誤りであり、逃亡・失踪、捕虜は戦死には計上されていない、という私の判断が正しいということになります。
 

(無題)

 投稿者:黒竜号  投稿日:2009年 5月22日(金)20時41分44秒
  おもしろい記事見かけたので紹介しておきますね。

>【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?
1 :Ψ:2009/05/22(金) 04:45:59 ID:h5A2FseM0
南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。
中国側は2〜3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって虐殺されたと主張している。
このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、
中国の軍隊は何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。
以下はそのブログより。
--------------------------------------------------------------
米国人の友人と食事をした際、一つの質問を受けた。
「中国人はずっと、日本人は南京大虐殺で中国人を大量に殺害したと言っている。
この大虐殺は二〜三カ月もの間続いたと言っているが、その間中国の軍人はどこにいたのか?
二カ月も続いていたとすれば、どこにいても駆けつけることができたはずだ。
日本軍人はわずかに5000人だったそうだが、中国軍はなぜ南京の市民を守らなかったのか?」
以上が、米国人の友人から受けた質問だ。私はこの質問を聞いて唖然としてしまった。
私はこれまでこのような問題について考えたことが無かったし、私の周りの人間も考えたことが無かっただろう。
米国人は私に「当時、共産党や国民党は一体何をしていたのか?」と尋ねてきたが、外国人たちは、これについて、
「彼らは旨いものを食っていたに違いない」と言っていた。私はこれに対して、絶対的に誇張された考え方だと反論したが、
確かに良い質問だと感じ、帰って調べ、後でメールすると答えたのだった。
資料を調べて分かったのは、当時南京に侵攻した日本軍は5000人ではなく6万人であったことと、
南京にいたのは多くの売国奴であったということだった。友人からの質問は私を大いに混乱させることとなった。
また、私はGoogleで検索したのだが、

何の資料も見つけることができなかった。

当時、中国軍が何処で何をしていたのか、一切の記述が無いのである。
私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0522&f=national_0522_003.shtml
 

猫インフルさんへ

 投稿者:グース  投稿日:2009年 5月22日(金)02時23分22秒
  >統計方法が不明であるときに、これこれこういう統計法をとっているから数値は
>不正確であると指摘するのは不可能なんですが(笑)。
>グースさんは「統計方法は不明であるが、これこれこういう統計法をとっている」から
>数値は適切であるという指摘をして手本を見せて下さい。

ここまで屁理屈をこねられますと、学問の素養の問題になってくるわけですが、
戦死者の数について、当事国が編纂した公式資料に準拠するのは常識なわけです。
それ以上に確度の高い史料というのはちょっと考えられませんからね。

公式資料について「細かい統計方法が不明だから信用できない」という理屈は、
学問の世界ではまず通用しません。

仮にですが、猫インフルさんが、当事国(中華民国の)公式資料の数値は過少であると
主張したいならば、
(1)どのような統計方法がとられたのかを調べ、問題点を指摘する
(2)さらに信頼性が高いと思われる資料をもってくる
のどちらかのアプローチをされるべきでしょう。
どちらもできない場合は、公式資料の数字に準拠するのが学問のルールになります。




崇善堂についてもそうですが、猫インフルさんがいくら理屈を捏ねようとも、資料の内容は
変わらないわけですよ。

資料によれは崇善堂は4月に埋葬活動を行ってはいない。
よって、崇善堂が4月に10万以上の死体を埋葬したというのはウソである。
というのは論理的におかしな部分はありませんよね?

その他の外国人の史料や、日本側の史料では埋葬数は約4万になっています。
これ以上に数万規模で死体が存在したという史料はありません。
崇善堂だけで4月に10万もの埋葬を行ったことを証明できるような史料は皆無なんです。

複数の史料をつき合わせて考えれば、東京裁判に提出された崇善堂の埋葬記録は捏造である
という結論以外にはなりえません。
 

>崇善堂についてですが

 投稿者:猫インフル  投稿日:2009年 5月21日(木)23時21分53秒
  >中国側の研究として、捏造の可能性について触れられていますね。

指摘されているのは、「10万4718体の埋葬数に疑問が生じる」、「同一地域における重複が見られるので、単純な加算は不可である」であって捏造だとも、捏造の可能性があるとも言っていませんね。

>10万規模の死体というと莫大な量になります。ちょっと見落とす、ということは考えられません。

仮に10万人の死体があったとしても南京の市域のあちこちに散乱しているものですから、一体、一体数えませんと、ただちに10万人規模という認識は生まれません。
確実に算定したのは諸種の埋葬団体しかありませんから、あとはそれらをどう集計したのかという問題です。

>当時の史料によれば、南京で埋葬が必要とされた死体の総数は約4万です。
>これは紅卍会主導で埋葬されたことになっていますので、今回発掘された史料と、その他の外国人や日本側の史料と付き合わせると、「崇善堂の埋葬記録は捏造である」という結論以外にはなりえないわけです。

紅卍字会であれ、外国人、日本側であれ、すべての埋葬団体の埋葬に先立って南京全市域の死体をカウントして記録したという資料はありません。したがって、諸種の埋葬資料をどう集計するかが焦点となります。
 

統計の読み方について

 投稿者:猫インフル  投稿日:2009年 5月21日(木)23時20分50秒
  >以上のように当事国でまとめられ、当事国で刊行された公式報告になりますので、
>細かい統計方法が不明でも、一級資料の数値として扱って問題ありません。

>史料価値に疑念を入れる場合は、統計方法が不明という理由だけではなく、これこれこういう統計法をとっているので、数値は過小である(あるいは過大である)という風に指摘する必要があります。


統計方法が不明であるときに、これこれこういう統計法をとっているから数値は不正確であると指摘するのは不可能なんですが(笑)。グースさんは「統計方法は不明であるが、これこれこういう統計法をとっている」から数値は適切であるという指摘をして手本を見せて下さい。


原隊に帰還せざる兵員については、戦死、逃亡・失踪、捕虜・投降兵の三つの範疇しかありません。当該資料がこの三つをどう仕分けしたかについては資料がないので、合理的な推定による他ありません。

戦死体の回収もしくは確実な目視は戦死と確定です。後二者を確定する方法はありません。したがって互角あるいは戦勝の場合は戦死数は実数に近づきますが、激戦の度合いあるいは敗戦の度合いが強いほど、戦死者数は低く見積もられると思われます。古今東西を通じて、軍事報告は自軍の被害が大きいときは少な目に報告し、自軍の被害が少ないときは実数に近くなるという傾向が明白です。

上海−南京戦が激戦、かつ中国軍の惨敗に終わったのは周知のことで、戦死者数は低めに見積もられているとするのが相当です。

前回は日中戦争の全期での日本軍戦死者数/中国軍戦死者数の比率が3.4倍であることを指摘しましたが、1937年度中の南京以外の戦区においては同比率は3.2倍、上海−南京戦区は1.4倍となります。戦死者が低めに見積もられているのは明らかだと存じますが、いかがでしょう。
 

猫インフルさんへ

 投稿者:グース  投稿日:2009年 5月21日(木)00時40分43秒
  >統計資料が信用できるか、できないかはその資料作成の方法が明らかになっていないと
>正しい評価はできません。でないと「はっきりとした」統計資料とは認められないと
>思うのですが、どうでしょうか。

資料の場合は、誰が作成したものかという部分も重要になってきます。
当該資料のバックボーンですが、下記サイトから抜粋しますと
-----------------------------
http://www.history.gr.jp/~nanking/reason10.
「中国現代史料叢書=対日抗戦」という著書がある。
何応欽上将著、呉相湘編、第一版は1948年(中華民国37年)12月、
第二版は1962年(中華民国51年)6月発行、発行所は台北市文星書店。

軍事報告というのは、日本の国会に相当する全国代表者会議に毎年報告して
承認を得るもので、実に688ページにおよぶ浩翰なもの。
------------------------
以上のように当事国でまとめられ、当事国で刊行された公式報告になりますので、
細かい統計方法が不明でも、一級資料の数値として扱って問題ありません。

史料価値に疑念を入れる場合は、統計方法が不明という理由だけではなく、これこれこういう
統計法をとっているので、数値は過小である(あるいは過大である)という風に指摘する
必要があります。

猫インフルが個人的に「こう思う」「こうであるはずだ」というだけでは、資料の数値を否定する
根拠にはなりえないということですね。


崇善堂についてですが
>埋葬記録について疑わしい部分は昔から指摘されていましたが、
>記録が故意の捏造であったという証拠はどこにもありませんね。

下記の文章をよく読んでもらいたいのですが
------------------------
先の判決の根拠になった崇善堂が埋葬した11万2267体について、崇善堂記録では4月が10万4718体と
なっているが、同史料に収録された「南京市慈善団体調査表」には崇善堂の埋葬活動は38年1月23日から始まり
3月29日に停止とされている(同史料集145頁)。
他の史料で確認する必要があるが、そうだとすれば、10万4718体の埋葬数に疑問が生じることになる。
同史料を編集した孫宅魏は、埋葬史料の統計には、大小さまざまな慈善団体間で同一地域における重複が見られるので
判決文に見られるような単純な加算は不可であると指摘している。
一方では、これまで知られていなかった埋葬団体による1万3700体の埋葬という数字も紹介されている。
「百人斬り競争と南京事件」のP256 笠原十九司著
----------------------
中国側の研究として、捏造の可能性について触れられていますね。

10万規模の死体というと莫大な量になります。ちょっと見落とす、ということは考えられません。
当時の史料によれば、南京で埋葬が必要とされた死体の総数は約4万です。
これは紅卍会主導で埋葬されたことになっていますので、今回発掘された史料と、その他の外国人や
日本側の史料と付き合わせると、「崇善堂の埋葬記録は捏造である」という結論以外にはなりえないわけです。
崇善堂が埋葬を行ったのは事実としても、それは紅卍会の記録(約4万埋葬)に含まれるということになるでしょう。
当然、女子供の数値が適正であるということにはなりません。
 

鈴木房江 さま

 投稿者:二世  投稿日:2009年 5月20日(水)23時10分1秒
  特攻兵のお名前をお探しとの事ですが ご親戚かご遺族の方ですか? 私の曽祖父も訓練中の航空機事故で戦闘機が墜落、最近ある方に出会い詳細を知る事が出来ました。

その方にお願いすればもしかしたら判るかもしれません。

特攻兵とのご関係が判らないのですが、血縁関係が有るならばご紹介いたします。
 

>崇善堂について

 投稿者:猫インフル  投稿日:2009年 5月20日(水)21時51分4秒
  >笠原教授の著作になりますが「百人斬り競争と南京事件」のP256にこのような記述があります。

別に笠原氏のことを議論しているわけではありません。

>紅卍字会の数字の中には、女・子供は皆無に近い

とは言えないし、

>崇善堂の数字の中には、すべて男子、女子、子供を適当な減少率で死体数を記入してある。明らかに作為的な数字である。

適当な減少率という意味が曖昧。全体の数字を見ても作為的な数字と決めつける根拠はない。

と指摘しただけです。


>そもそも、そんなに大量の死体の存在は認知すらされていないので、

死体を数えているのは埋葬団体の人だけですよ。

>歴史学的には、崇善堂の埋葬記録について捏造と考えてよいことになりますね。

崇善堂が存在して、活動していたこと自体を全否定する人はほとんどいません。
埋葬記録について疑わしい部分は昔から指摘されていましたが、記録が故意の捏造であったという証拠はどこにもありませんね。
 

戦死について

 投稿者:猫インフル  投稿日:2009年 5月20日(水)21時42分4秒
  >いくつか勘違いがありそうなんですが、歴史学としてはですね、はっきりとした統計資料がある場合には、出典を明記してその数字を流用して問題ないんですよ。それが過小であると主張する為には、過小の根拠となる史料が必要になってくるわけですね。

統計資料が信用できるか、できないかはその資料作成の方法が明らかになっていないと正しい評価はできません。でないと「はっきりとした」統計資料とは認められないと思うのですが、どうでしょうか。

>つまり
>>上述のような算定方法でこれだけしか算定できなかったという、参考程度にすべきものでしょう。

>と主張する場合には、上述の部分ですね、「数値は回収された遺体数と目算である」「捕虜や脱走など行方不明が含まれない」という根拠になる史料が必要になってきます。そういう史料がない場合、歴史学としては、ひとまず史料の数値を適正なものとして流用することになるわけですね。

中国軍の兵制は日本陸軍の兵制が参考にされています。蒋介石、何応欽も日本の陸軍士官学校あがりですし、戦闘方法から軍事報告の書き方まで一渡りは日本の教育を受けそれを踏襲していたと考えられますから、戦死者の扱いについても日本と大略同じとひとまず推定しました。

軍隊という組織は官僚組織であるために例え、形式的ではあっても確実な数字を要求されます。したがって死体収容あるいは目視で確認した兵士については戦死で間違いない。すべての軍隊は自軍の被害は過少に、敵軍の被害は過大に報告するのを常とします。これを逆にしますと指揮官の成績が悪いという評価になり昇進に差し支えます。原隊に帰還せざる兵をただちに死亡と判定することは時として自軍の被害を過大に見積もる可能性があるからけっしてやりません。

また、日本軍においては捕虜・脱走兵はあってはならないことで、公に報告するということはありえませんでした。中国軍にとっても自軍の捕虜数はそもそも確認不能な種類の被害ですから決して確定数として報告されることはありません。

原隊に帰還せさせる兵は戦死、脱落・逃亡、捕虜のいずれかでしょうが、後二者はほとんど報告されない。かといってこれを戦死者であるという報告もできないことになります。

>するとどうやって戦死を算出したかというと、撤退した兵力から、減じた兵力を戦死として扱ったと考えたほうが無理がないでしょう。目算というあやふやなものの合計であると主張するのは、学術的にはかなり苦しいと思います。

軍隊は決してそういう算定はしないものです。


>二つ目にですね、
>>戦死者の数では常に中国側が数倍であったことを考えれば、
という部分なんですが、これの根拠はどういう史料なんでしょうか?

日中の軍事資料です。1937年7月7日から1945年までの日中の戦死者の総数を見ますと、
だいたい日本が40万人、中国が130万人で3.3倍になっています。

>まあ火力で日本側が勝っていたとしても、中国側は陣地を防衛しながらの戦いになりますので、日本軍の戦死2万3000に対して、中国軍が1.5倍弱の戦死3万3000というのは、まずまず妥当な数値だと考えられます。これ以上に差が開くというのはちょっと考えにくいですね。

陣地戦は上海戦だけですね。この陣地戦で日本軍は徹底的に苦しめられましたが、それでも戦死者は中国側が倍くらいと言われています。第十軍が上陸してから後は追撃戦、南京戦は殲滅戦で中国軍の被害1.5倍は過少です。

>ちなみに、日露戦争の203高地では、攻撃側の日本軍の死者が約1万5000。防御側のロシア軍は死者3000くらい。ということで、陣地施設がある場合、防御側のほうが有利なわけです。

203高地ではロシア軍は機関銃を有し、銃火器で圧倒していたにもかかわらず、乃木大将は無謀な突撃を強いたため無用に戦死者が増やした。最終的に高地を制したのは麓に引っ張ってきた長距離砲の威力だったと言われています。上海戦では中国軍が倍の軍勢でしたが、日本は海軍による支援があり、航空機、火砲で勝っていたので最終的に勝利した。日露戦争とは一緒にできないですね。
 

以上は、新着順231番目から240番目までの記事です。 20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  |  《前のページ |  次のページ》 
/85 


[PR] 美容皮膚科